|
|
|
清水の三保の海岸に よく流木を拾いに出かけます。お天気が良ければすぐ眼前は伊豆半島で、夜は家々の明かりが灯っています。こうして三保と伊豆にすっぽり抱えられるように私の住まいはあります。若かりし頃、いつも啄木の歌集をバッグに詰めてひとり旅に出掛けました。こうして囲まれた所から一歩でも外洋に飛び出してみたかった。それがいつの間にかここに根を下ろしています。そしてその時間もあっという間に過ぎて去っています。啄木は26歳6ヶ月 で生涯を終えています。その啄木がこの歌に言う「初恋の痛みを遠くおもひ出ずる日」という遠くとはいつの日のことだったのでしょうか。あっという間にその生涯の倍以上を生きてきたものにとってはなんと凝縮した時間だったでしょうね。私には想像もつきません。砂山に腹這うと何故か体に響く潮騒も頭上高い風の音も、遙か遠いところのように感じたものです。数年前、流木を拾いながら缶詰の空き缶(缶切りでギザギザに開いて真っ赤に錆びたあの空き缶)を探してみましたがどこにも見つかりません。プルトップやスプレー式のものばかりです。流れ着くものは遠い思い出、ではない、今日そのものなのですね。
*今月号の表紙にはそんな思いを込めて「初恋」という作品を載せました。300oの流木の真ん中には浜昼顔が絡まって錆びた白桃の空き缶があります。側には青い蟹一匹が歩いていて奥には浜木綿が咲いています。
*茶入れには海岸を飛ぶアジサシをあしらいました。
|
|
|